今年も「水彩スケッチ展」を開きます

ちょっとご無沙汰していましたが、今年も「水彩スケッチ展」を開くことになりました。
今回は「朝鮮人街道を描く」というテーマで、約30点を展示いたします。
朝鮮人街道は現在の野洲から彦根までの約40kmにわたる街道で、江戸時代に朝鮮使節使が通った道として知られています。
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場所:ギャラリー白雲館(滋賀県近江八幡市為心町元9 ※日牟礼神社の鳥居向かい 電話:0748-32-6181)
「白雲館」の地図
日時:2008年4月28日(月)〜30日(水)、5月8日(木)〜14日(水)
いずれも午前9時〜午後4時半まで
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八幡堀の観光のついでなどにお立ち寄りください。(入場無料)
ぶらり近江路散策
新年の第一弾は、近江八幡の西の湖・沢から見た八幡山です。
今年も、近江の風景を存分にスケッチしていきます。
ご期待ください!
今年も、近江の風景を存分にスケッチしていきます。
ご期待ください!
近江八幡スケッチ漫歩
⑩八幡山
おうみはちまん開町の祖、豊臣秀次の居城、八幡山です。
おうみはちまん開町の祖、豊臣秀次の居城、八幡山です。
近江八幡スケッチ漫歩

⑨近江八幡市西元町
西元町・西末町・北元町・北末町の4町は、明治維新までは総じて「寺内」といわれていました。
この地にある本願寺別院金台寺の門前町の意味です。
八万城形成時に、元々安土にあった同寺と東寺内・西寺内の両町の住民を移してできた町です。
現在の名称は町政の便宜上4分にしてこのように呼ぶようになりました。
近江八幡スケッチ漫歩
⑧近江八幡縄手町
縄手町と、変わった地名があります。徳川時代までは三丁縄手町と呼ばれており、わが国で
古くから用いられてきた土地区画制度の条里制に関連して、田地のあぜ道を示す呼び名が
もとになったものと考えられています。
八幡山城下の東入口にあたり、縄手入口橋(音羽橋)のたもとには木戸(黒門)が設けられていました。
この絵の下絵です。

完成画です。(スケッチ時間、40分)
縄手町と、変わった地名があります。徳川時代までは三丁縄手町と呼ばれており、わが国で
古くから用いられてきた土地区画制度の条里制に関連して、田地のあぜ道を示す呼び名が
もとになったものと考えられています。
八幡山城下の東入口にあたり、縄手入口橋(音羽橋)のたもとには木戸(黒門)が設けられていました。

この絵の下絵です。

完成画です。(スケッチ時間、40分)
近江八幡スケッチ漫歩
⑦ 岡田彌三右衛門邸跡(為心町)
初代は、慶長15年(1614)に北海道松前に渡り、呉服・大物などを商い、
後に漁場も手掛けました。5代目は、最大23もの漁場を請け負いました。
(小樽・古平の町を拓いた)11代目が壮年の頃、函館・室蘭に向かう道中
で、登山の山中で休憩した際に、川筋に湯気が立っているのを発見、これが
登別温泉だといわれています。
初代は、慶長15年(1614)に北海道松前に渡り、呉服・大物などを商い、
後に漁場も手掛けました。5代目は、最大23もの漁場を請け負いました。
(小樽・古平の町を拓いた)11代目が壮年の頃、函館・室蘭に向かう道中
で、登山の山中で休憩した際に、川筋に湯気が立っているのを発見、これが
登別温泉だといわれています。
近江八幡スケッチ漫歩

⑥教会の見える通り
近江八幡市為心町上付近
近江八幡スケッチ漫歩

⑤西川甚五郎邸
西川家は八幡山城築城の時に工務監督を務めた旧家。永禄9年(1566年)創業で屋号を
山形屋と言い八幡で蚊屋・畳表など商いました。3代目の頃、純益の3分の1を従業人に分配
する現在のボーナス制度を取り入れ従業人のやる気を大いに引き出しました。
13代目はアメリカ留学の経験を活かし、社員教育に英語・簿記などを取り入れました。又、
参議院議員として池田内閣の大臣も務めた。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズに次いで近江八幡の名誉市民第2号に選ばれました。
現在も布団の西川で知られる西川の本店が市内大杉町に残されています。(非公開)
近江八幡スケッチ漫歩
④永原通り
近江八幡の新町通りと、ここ永原通りは、昔日の良き町並みが残っており
市の保存地域に指定されています。

近江八幡の新町通りと、ここ永原通りは、昔日の良き町並みが残っており
市の保存地域に指定されています。

近江八幡スケッチ漫歩
③新町通り
近江商人(八幡商人)の邸宅が建並ぶ通りです。
西川利右衛門家は屋号を大文字屋と称して蚊屋や畳表を
商い、江戸、大阪、京都に見せを構えました。
昭和5年に後継者が無いまま11代目が亡くなり、約300年
にわたって活躍した西川家は終焉を迎えました。

近江商人(八幡商人)の邸宅が建並ぶ通りです。
西川利右衛門家は屋号を大文字屋と称して蚊屋や畳表を
商い、江戸、大阪、京都に見せを構えました。
昭和5年に後継者が無いまま11代目が亡くなり、約300年
にわたって活躍した西川家は終焉を迎えました。

近江八幡スケッチ漫歩
②西村太郎右衛門(安南屋)宅地跡
西村太郎右衛門は20歳の時、角倉了以の御朱印船で長崎から安南(ベトナム)へと
旅立ちます。25年間、異国の地で商いを行い帰国の為、長崎まで帰って来ますが、時は
鎖国の世であり上陸は許可されず、安南の地で没した悲劇の商人です。
場所は、京街道(朝鮮人街道)に沿って小幡の交差点を渡り、東100㍍程の処です。
この建物は、旧近江八幡警察署を経て現在は、近江八幡の市立資料館となっています。
西村太郎右衛門は20歳の時、角倉了以の御朱印船で長崎から安南(ベトナム)へと
旅立ちます。25年間、異国の地で商いを行い帰国の為、長崎まで帰って来ますが、時は
鎖国の世であり上陸は許可されず、安南の地で没した悲劇の商人です。
場所は、京街道(朝鮮人街道)に沿って小幡の交差点を渡り、東100㍍程の処です。
この建物は、旧近江八幡警察署を経て現在は、近江八幡の市立資料館となっています。
近江八幡スケッチ漫歩
近江八幡の町並みを数回シリーズで掲載します。
①伴家住宅

①伴家住宅

野洲市小堤の集落
私の住む、野洲市のほぼ中央に旧中山道が通っています。
銅鐸が多量に出土した場所で有名でしたが、数年前に島根県で多量の銅鐸が出土して、野洲の名もすっかり忘れられた感があります。
滋賀県は、天井川が多く昔は、この辺りは大湿地帯でした。
バックの山から流れて来る土石流で集落の人々はたいへん困っていました。
そこで長い堤防を築いて災害を防いできました。
この堤防が小堤という地名になっています。
因に後ろの山は、昔この地を統治していた永原氏の砦があったそうです。
銅鐸が多量に出土した場所で有名でしたが、数年前に島根県で多量の銅鐸が出土して、野洲の名もすっかり忘れられた感があります。
滋賀県は、天井川が多く昔は、この辺りは大湿地帯でした。
バックの山から流れて来る土石流で集落の人々はたいへん困っていました。
そこで長い堤防を築いて災害を防いできました。
この堤防が小堤という地名になっています。
因に後ろの山は、昔この地を統治していた永原氏の砦があったそうです。
八幡堀〜船町・鉄砲町かいわい

春の八幡堀はのんびり歩くのにいいもの。
これから梅雨にかけて、「雨の八幡堀」もなかなか風情があって、おすすめですよ。
八幡堀

またまた八幡堀にスケッチに来てしまいました。
ここは何度描きに来ても楽しいところですね。
よしの会絵画展

恒例となっていますグループ展「よしの会」絵画展を5月4日(金)〜6日(日)の三日間、近江八幡市仲屋町の酒游舘で開催します。地元、滋賀県をはじめ、京都、大阪の絵描きさん達の作品を展示します。八幡堀観光かたがた是非、お越しください。
八幡掘にてスケッチ
昨日、近江八幡駅から市内の古き町並みを歩いて、西の湖までのハイキングが行われました。
650名の参加があったようで、八幡堀でスケッチをしていると参加者の人達が、私のスケッチ画を足を止めてのぞいていました。
春間近の八幡堀

桜の開花も結局、例年どうりになるのではないでしょうか!?
寒い中、無性にスケッチがしたくなって、久し振りに八幡堀に
出かけました。
きょう、スケッチした場所は、同じ八幡堀でも観光コースから少し外れた所です。
八幡城を囲むように堀が巡らせていますが、ここの町名は鉄砲町といって堀の内側にあり武士の町だった様です。外側は町人の住む町で、大工町、魚屋町、鍛冶屋町…などの町名が残っています。
暖冬の八幡堀


近江八幡の八幡堀。
例年この時期は観光客は少ないのですが、暖冬のせいか日牟礼神社前の駐車場も他府県の車で一杯です。
3月17、18日の両日、八幡堀界隈は左義長祭りがあります。
今年も桜の花が咲くころには、さぞ賑わうことでしょう。

