ひこね散策「彦根城」編
宿場シリーズは、ちょっと小休止して、今回から、来年3月から始まる「彦根城築城400年シリーズ」にちなんだ作品を掲載していきます。

まずは彦根城です。
「滋賀・咲く・ブログ」ネットファンは、ほとんどの人が滋賀県の方と思われますので、ここで個々の詳しいウンチクは述べません。
ただ、 画像から築城に際して昔人の思いなどが、私の絵を通じて感じていただければ幸いです。

●関ヶ原の戦功で、佐和夜山城を与えられた井伊直政は、別の場所に城を築く事を計画。井伊直政の子・直継の代の慶長八年(1603)から二十年の歳月を費やし彦根城を完成させました。徳川幕府は、近隣の諸大名に築城助役を命じ、「天下普請」をもって竣工したのです。
●天守は大津城より移築。石垣は佐和山、安土、長浜城の用材が使われました。要するにリサイクル城です。
明治時代に中山道を京に向かっていた大隈重信(だったか?)は、「この城を壊すのは、もったいない」と、時の政府に取り壊しの中止を嘆願しました。
「彦根城マップ」

まずは彦根城です。
「滋賀・咲く・ブログ」ネットファンは、ほとんどの人が滋賀県の方と思われますので、ここで個々の詳しいウンチクは述べません。
ただ、 画像から築城に際して昔人の思いなどが、私の絵を通じて感じていただければ幸いです。

●関ヶ原の戦功で、佐和夜山城を与えられた井伊直政は、別の場所に城を築く事を計画。井伊直政の子・直継の代の慶長八年(1603)から二十年の歳月を費やし彦根城を完成させました。徳川幕府は、近隣の諸大名に築城助役を命じ、「天下普請」をもって竣工したのです。
●天守は大津城より移築。石垣は佐和山、安土、長浜城の用材が使われました。要するにリサイクル城です。
明治時代に中山道を京に向かっていた大隈重信(だったか?)は、「この城を壊すのは、もったいない」と、時の政府に取り壊しの中止を嘆願しました。
「彦根城マップ」