岩井克統のぶらり近江路散策


サラリーマン生活を無事終えて、現在は毎日のようにスケッチ三昧の日々。近江八幡の八幡堀やヴォーリズ建築、街道宿などの水彩画を描いています。その一部を紹介していきます。

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Posted by 滋賀咲くブログ at

2007年11月24日

近江八幡スケッチ漫歩



⑨近江八幡市西元町
 
 西元町・西末町・北元町・北末町の4町は、明治維新までは総じて「寺内」といわれていました。
 この地にある本願寺別院金台寺の門前町の意味です。
 八万城形成時に、元々安土にあった同寺と東寺内・西寺内の両町の住民を移してできた町です。
 現在の名称は町政の便宜上4分にしてこのように呼ぶようになりました。


Posted by ヤスシー at 14:54 Comments( 0 ) 観光地

2007年11月21日

近江八幡スケッチ漫歩

⑧近江八幡縄手町
 縄手町と、変わった地名があります。徳川時代までは三丁縄手町と呼ばれており、わが国で
 古くから用いられてきた土地区画制度の条里制に関連して、田地のあぜ道を示す呼び名が
 もとになったものと考えられています。
 八幡山城下の東入口にあたり、縄手入口橋(音羽橋)のたもとには木戸(黒門)が設けられていました。
 この絵の下絵です。
 
完成画です。(スケッチ時間、40分)


Posted by ヤスシー at 11:00 Comments( 0 ) 観光地

2007年11月18日

近江八幡スケッチ漫歩

⑦ 岡田彌三右衛門邸跡(為心町)
  初代は、慶長15年(1614)に北海道松前に渡り、呉服・大物などを商い、
  後に漁場も手掛けました。5代目は、最大23もの漁場を請け負いました。
  (小樽・古平の町を拓いた)11代目が壮年の頃、函館・室蘭に向かう道中
  で、登山の山中で休憩した際に、川筋に湯気が立っているのを発見、これが
  登別温泉だといわれています。
 


Posted by ヤスシー at 08:35 Comments( 1 ) 観光地

2007年11月17日

近江八幡スケッチ漫歩


⑥教会の見える通り
 近江八幡市為心町上付近


Posted by ヤスシー at 09:06 Comments( 0 ) 観光地

2007年11月16日

近江八幡スケッチ漫歩


⑤西川甚五郎邸
 西川家は八幡山城築城の時に工務監督を務めた旧家。永禄9年(1566年)創業で屋号を
 山形屋と言い八幡で蚊屋・畳表など商いました。3代目の頃、純益の3分の1を従業人に分配
 する現在のボーナス制度を取り入れ従業人のやる気を大いに引き出しました。
 13代目はアメリカ留学の経験を活かし、社員教育に英語・簿記などを取り入れました。又、
 参議院議員として池田内閣の大臣も務めた。
 ウィリアム・メレル・ヴォーリズに次いで近江八幡の名誉市民第2号に選ばれました。
 現在も布団の西川で知られる西川の本店が市内大杉町に残されています。(非公開)
 


Posted by ヤスシー at 17:34 Comments( 6 ) 観光地