近江八幡スケッチ漫歩
⑧近江八幡縄手町
縄手町と、変わった地名があります。徳川時代までは三丁縄手町と呼ばれており、わが国で
古くから用いられてきた土地区画制度の条里制に関連して、田地のあぜ道を示す呼び名が
もとになったものと考えられています。
八幡山城下の東入口にあたり、縄手入口橋(音羽橋)のたもとには木戸(黒門)が設けられていました。
この絵の下絵です。

完成画です。(スケッチ時間、40分)
縄手町と、変わった地名があります。徳川時代までは三丁縄手町と呼ばれており、わが国で
古くから用いられてきた土地区画制度の条里制に関連して、田地のあぜ道を示す呼び名が
もとになったものと考えられています。
八幡山城下の東入口にあたり、縄手入口橋(音羽橋)のたもとには木戸(黒門)が設けられていました。

この絵の下絵です。

完成画です。(スケッチ時間、40分)